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date :2011年03月24日

届けていただきました!!

吉井英勝さんの著書
「原発抜き・地域再生の温暖化対策へ」の在庫がなく、
予約しました!!

と昨日書いていたのですが、

このブログをご覧になった
「風の本屋」さんのk橋さんから
「1冊あるから持っていきましょか」
とのTelがあり、

私の手元に届けていただきました。

ありがとうございます。

早速、読みます。

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全日本民医連・医師からのレポート~今回は阪神大震災とは全く違う

日経メディカルオンラインで

全日本民医連からの要請で支援に入った医師からのレポートが掲載されています。

以下転載させていただきます。

なお、プライマリ・ケアというのは
簡単に言うとすべての患者の最初の医療。
専門的に言うと「保健医療従事者による保健医療活動」のことです。

そして、プライマリ・ケアを行う医師は、
各専門診療科別の専門医(スペシャリスト)と区別して、
総合医(ジェネラリスト)と呼ばれます。

「家庭医」、「総合診療医」、「総合内科医」、などがこの範疇に入ります。

また総合医は役割として、
外来診療や在宅医療を中心とする家庭医と
病院内での総合的な診療を行う病院総合診療医(ホスピタリスト;総合内科医)に分けられます。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日経メディカルオンライン
REPORT
2011. 3. 24

大震災の現場から Vol.15
「今回の震災は阪神・淡路大震災とは全く違う」
内藤恵一(甲府共立病院外科科長)

私は3月13日から16日にかけて宮城県塩釜市の坂総合病院(357床)で支援活動を行いました。宮城県民医連から全日本民医連への支援要請に応じたものです。

 私は阪神・淡路大震災の際にも医師として応援に入りましたが、今回は福島第一原発の問題もあり、「帰れないかも」とひそかに思っていました。応援に入っていた医師は皆、同じように感じていたようです。


阪神・淡路大震災に続き、医療支援を行った内藤氏。
 坂総合病院は、数年前の立て替えで免震構造を採用しており、ガラス張りの建物ながらほとんど傷んでいませんでした。地震を感じさせるのは、トイレのタイルがはがれていたことくらいでしょうか。

 また、たまたま井戸水が使える土地で、自家発電もありました。水と電気が保たれていたため、外来も含めてほぼ通常業務をこなせていました。塩釜市のほかの病院は、既に入院していた患者を守るのが精一杯だったと聞いています。

 支援に入った当初は医薬品や食料の残量が不安でしたが、全国から続々と物資の支援が集まったため、すぐにそれは解消しました。また、私が離れた16日には、医師だけでも数十人、看護師や事務を含めると200人以上が病院に支援に入っていました。

 災害拠点病院として年3回災害訓練を行い、地震の直前にまさに訓練を行ったばかりだったことも幸いし、救急車を受け入れ実績が年間約2400件、急患の外来受診が1日平均58人の病院で、震災食後から1日平均で200人以上もの緊急患者を受け入れたのです。夜遅くなると暗くて歩くには危なく、かといってガソリンもなく救急車もロクに走っていない状況だったので、午前2時から6時までの深夜・早朝の患者は1~2人程度。つまり、昼だけで通常の何倍もの緊急患者を受け入れました。

 今回、私は同院で救急患者に対応しました。その感覚で言えば、今回の被災地支援は、阪神・淡路大震災時の延長で考えてはいけないと思います。阪神・淡路大震災の際には、発災後1週間以上経ってから現地入りしたにもかかわらず、骨折を我慢していた患者さんなど、外傷の患者も一定数おられました。

 ところが今回は、外傷は少なく、薬が津波で流されたことによる慢性病の悪化や、避難所で流行り始めたインフルエンザなどで体調を崩した方、在宅酸素で酸素が底をついた方などが中心でした。具体的には、インシュリンが切れて低血糖となり、意識障害を起こした患者さんやワルファリンが切れた心不全の既往がある患者さん、元々パニック障害で発作を起こされた患者さんといったケースです。支援に入った外科医の中には、活躍の場をなかなか見付けられないまま、被災地から去った医師もいるほどです。

 それでも坂総合病院にアクセスできた患者さんはまだ幸いです。多くの避難所では、具合が悪くなってもそれを伝える術も、医療機関にアクセスする術もなかったからです。私が持っていったauの携帯電話はまったく通じず、NTTドコモの携帯電話も10回メールすると1回通じる程度。

 そのような状況下では救急車も呼べず、かといってガソリンもありませんから、歩けなければ来院しようがないのです。避難所を訪ねて回った医師が、坂総合病院が機能していることを伝えてはいましたが、「どうやってアクセスすればいいんだ?」と問われることもあったようです。阪神・淡路大震災の際には、病院の建物のダメージが大きく、当初は情報の入手にも苦労しましたが、それでも電話回線をすぐに引いてもらえました。情報アクセスの点でも、今回はさらに大変だと思います。

1年目の医師でも十分に戦力に!
 現場ではあらゆる診療科の医師が必要ですが、今特に必要なのは、外科ではなくプライマリケア医です。精神科の医師も必要です。統合失調症やうつの患者さんも薬がなくなればどんどん悪化します。われわれは、どうしても阪神・淡路大震災の延長で医療支援を考えがちですが、今回は、一つの避難所がそのまま町になっているような被災地もあるのです。

選抜高校野球~大人に勇気を与える素晴らしい選手宣誓でした。

昨日から甲子園で春の選抜高校野球が始まりました。

私は西宮で中学一年生まで育ちました。
西宮に住んでいるものにとって、甲子園はとても身近で、
西宮市内の小学校の連合体育会は甲子園であったし、

それから夏の甲子園の入場行進のプラカード持ちは
市立西宮高校の女子学生しかできません。
あれがやりたくて市西に進む女子は多かったですものね。

その後宝塚に移り住みましたが、
中学生、高校生になっても高校野球は
友人や妹などとよく行きましたし、

そして大人になっても
こどもたちが小学生のころは
春、夏とよく行きました。

私にとって甲子園と高校野球はかなり思い入れがあります。

昨夜、ニュースで開会式の様子をみたのですが、

創志学園高校・野山主将選手の選手宣誓を聞いて
とても感動しました。

今回、高校野球は予定通り開催で
本当に良かったなと思います。

こどもたちは大人に本当に勇気をくれますね。

野山君、ありがとう!!

宣誓。
 
私たちは16年前、阪神・淡路大震災の年に生まれました。
今、東日本大震災で、多くの尊い命が奪われ、
私たちの心は悲しみでいっぱいです。
被災地では、全ての方々が一丸となり、
仲間とともに頑張っておられます。
人は仲間に支えられることで、
大きな困難を乗り越えることができると信じています。
私たちに、今、できること。
それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。
「がんばろう!日本」。
生かされている命に感謝し、
全身全霊で、正々堂々とプレーすることを誓います


プロフィール

crecre

Author:crecre
大阪の社会保障のことなら何でもまかせて・・・といえるようになりたいと日々勉強勉強
大好きなものは・・・
着物、旅行、露天風呂、読書、映画、足つぼマッサージ、料理(なんでも作ります。特にパスタははっきりいって、そのへんのイタリアンには負けませんし、時間さえあればピザも生地から、餃子も皮からつくります。煮物も大得意です。最近パンも焼いています)
大好きな人たちとの楽しいおしゃべり+美味しいお料理。
表計算ソフトのエクセル・統計が大好きです。
大切なものは・・・もちろん2人の息子、そして三匹のにゃんず。
性格は・・・非常に前向き、後ろは殆ど振り向きません。

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