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私に勇気をくれる深澤・沢内村村長のことば

来週土曜日の和歌山県高齢者大会の最後のところでお話すべく、
レジュメに深澤・沢内村村長の文章を打ち込みました。

深澤村長の政治理念は、
今を生きる私の心にも勇気を与えてくれます。

この国の政治はいつも国民の命をないがしろにしてきたのです。

そして、岩手の人口6千人の町でできたことが、
全国の自治体でできないはずがないと、
そう、心に響いてきます。

ちょっと長いですが、全文掲載します。

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【保健と私の政治理念】
保健文化賞を受けての深澤晟雄村長の寄稿文
 
私の村は奥羽山系のふところ深く秋田県境に位している岩手県西南部の寒村である。
人口は6500人に過ぎないが、300平方キロ近くの広大な面積(殆どは国有林)を占めている。
地形は帯状で、南北28キロに及ぶ剣道に沿うて7割の住民が住み、
その両側の奥に点在する14部落に3割の住民が住んでいる。

私の村の特徴は次の通りである。
第一は極めて貧乏であること。
日本一貧乏な岩手県の中で最下位に属し、
昭和32年頃は一戸平均23万円の年所得であった(9割迄は米単作を主とする農家)。

第二は極めて不健康であること。
例えば乳児の死亡率は日本一高い岩手県の中で最高位に属し、
昭和32年頃でさえ概ね70%(1000分の1)を示している。

第3は極めて雪の深いこと。
2メートルから3メートルの豪雪のため交通はマヒ状態に陥り、
半年間は雪の牢獄生活を覚悟しなければならない。
岩手県一の豪雪地帯だから、日本有数のランクに入るだろう。

こうした環境の中で、郵便の配達も止まってしまう猛吹雪を恨みながら、
石コロのように死んでいった病人を
あまりにも沢山私は知っている。

口に糊することもできない人達が、
薬草と売薬を信じ、
近代社会や近代医療を嘲りながら死んでいった例を知り過ぎる程私は知っている。

生命の尊重されない政治や世相の縮図のように、
私の村ほど露骨にこれを表したものも少なかろう。

人命の格差は絶対に許せない。
生命の商品化は断じて許せないと考えることに無理があろうか。
このことは感傷的なヒューマニズムでもないし、
人権尊重という民主主義の題目唱和でもない。

それは人道主義とか憲法とかの生ぬるい理念の問題でなくて、
もっと切実な生々しい生命自身、
人間自体の体質的な現実課題であると解するのに何の無理があろう。

生命健康に関する限り、国家ないし自治体は格差なく平等に
全住民に対し責任を持つべきであり、
それは思想以前であり、
憲法以前であり、
ましてや政策以前の当たり前の責務であるというのが私の政治理念である。

この理念を基にして私は生命をおびやかす三条件、
即ち低い意識水準、貧乏、雪の課題解決のため
昭和32年村長就任と共にその具体的努力に入った。

私の諮問機関として保健委員会を設け、
そのメンバーには
議会、教育委員会、社会委員会、婦人会、青年会、区長会、PTA、校長会、農協、病院等の指導者を委嘱し、
専ら組織活用の方法を用いたり、
又部落毎1名計23名の保健連絡員を置いたり、
岩手医大学生に頼んで冬季夏季の大々的保健啓蒙の活動を展開したりした。
更には保健モデル部落を数ヶ所設定したり、
保健婦の養成制度を採用したり、
又保健相談や育児指導にも格別な力を払った。

34年頃の3年間は無我夢中の啓蒙時代であったが、
35年現院長加藤博士(東北大学中村内科の鬼才)を迎えてから反省期に入り、
科学的な体系的な健康管理の方向を辿って今日に至っている。
個人別、家族別、部落別の特徴を捉えた村全体の健康台帳の整備に力を入れている現状である。

生命行政は予防活動から、
予防活動は健康管理から、
健康管理は健康台帳から、
の標語のできたのもこの頃である。

又この頃から東北大(附属病院長中村教授外)、岩手医大(若生教授外)、秋田県平鹿総合病院(立身院長外)、北上保健所(及川所長外)等の指導協力が癒々深まっている。
こうした学識経験者をお招きしての健康管理研究会の生まれたのも当然である。

全住民の10割給付を公約して、
その第一段階として老幼(60歳以上、及び1歳未満)の10割給付を実施したのも35年である。

その後、入所命令をうけない長期結核療養者や伝染病患者に対する10割給付を行い、
又38年には法施行を待たずに世帯主7割給付を4月から実施している。

以上の経緯の中で35年には乳児死亡率低下(25%)による知事表彰及び岩手日報賞を受け、
偶然ではあるが37年には乳幼児死亡ゼロの奇跡に恵まれたのである。

雪の問題も5年間の努力が実って、
昨年は延々50キロの豪雪を突破して盛岡までの定期バスの確保に成功し、
今冬からは離れた小部落の生命を守るために雪上車を病院に備え付けることになっている。

このようにして暗黒社会にも一条の光が射しかけているとは思うが、
あまりにも将来問題が山積みしており、
例えば全住民の10割給付の問題、
妊婦の健康管理や病類別、
特に本村特有の高血圧対策の問題とか、
更には水道、住宅等環境整備の案件などを考えると私の頭が重くなる。

高い段階の政治解決、
いうなれば国の医療制度又は生命行政の抜本的反省を前提とする課題の多いことを思えば
暗然とせざるを得ない。

然し私は自分の政治理念を不動のものと考え、
内にあっては村ぐるみでの努力を惜しまず、
皿に外からの暖かい理解と協力を信じながら、
住民の生命を守るために命を賭けようと思う。

(昭和39年5月)

深澤村長はこの8カ月後の
昭和40年1月28日に道半ばにして帰らぬ人となりました。

しかし、その後もこの村長の政治理念は脈々と村の人々により引き継がれ、
いまもなお、生き続けていることを先月の訪問で知りました。

そして、深澤村長の生き方を、私も引き継ぎたいと思うのです。
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プロフィール

crecre

Author:crecre
大阪の社会保障のことなら何でもまかせて・・・といえるようになりたいと日々勉強勉強
大好きなものは・・・
着物、旅行、露天風呂、読書、映画、足つぼマッサージ、料理(なんでも作ります。特にパスタははっきりいって、そのへんのイタリアンには負けませんし、時間さえあればピザも生地から、餃子も皮からつくります。煮物も大得意です。最近パンも焼いています)
大好きな人たちとの楽しいおしゃべり+美味しいお料理。
表計算ソフトのエクセル・統計が大好きです。
大切なものは・・・もちろん2人の息子、そして三匹のにゃんず。
性格は・・・非常に前向き、後ろは殆ど振り向きません。

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